石垣島の最先端でドローン水没
石垣島の最先端でドローン水没
どうも、石垣島に住むよっぺーです。
2週間前に石垣島の最先端にある御神崎でドローンを水没させてしまいました。
これが最後の空撮に。
この日は天気もよく
サップ 仲間とサップ空撮を撮りに行き、
いつものように約1時間ほど飛ばしていました。
撮影終盤、100メートル上空から真下を撮って
終わりにしようとしていたところ
いきなりコントローラーと機体の接続が未接続になり、
画面が真っ暗にww
いつもなら10秒ほど待っていたら
元に戻るはずが、全然戻る気配はなく、
機体のバッテリーがどんどんなくなっていました。
丘の上からの撮影していたのもあり機体の姿が見当たらなく、
画面が真っ暗なまま、機体が飛んでいるであろう場所にコントローラーを持っていっても
接続が戻らず、最後のバッテリーがなくなるピーピーという音がなり機体が落ちたことを確信しました。
それからコントローラーを置き、仲間と共に
機体が落ちていないか捜索が始まった。
草むら、砂浜、崖、どこを探しても見当たらない。
みんなの体力のこともあったので、一旦落ち着いて
また翌日に探すことにしました。
機体が入っていないドローンケースは違和感しかなく、
なんか命を落とした気分でした。
帰宅しドローンに詳しい友人に報告したところ、
アプリ上で飛行記録を確認できるはずと言われ
試してみると最後に飛行していた場所が出ていました。
もっとアプリに詳しければ
その時に探せたはずなのにと後悔。。。
一度落とせば回収するだけでも奇跡と言われているドローン。
翌日、最後に落ちたであろう場所を僕はシュノーケル、友人はサップを使い、
手分けして捜索したところ、1時間後に海水に浸かり落ちているドローンを発見しました。
発見した頃は、最後にドローンを落として約1日が経過しており、
また朝には大雨が降っていました。
回収できた喜びもあり、次はこれを復活させるぞ!!
という気持に変わりました。
帰りに浜まで友人のサップを借り夕陽とバックに撮影。
ドローンがサップの上にあるとかあり得ない!笑
この後すぐ家に持ち帰り、バッテリーを外し
水で塩抜きを最初にしました。
電源ボタンを押したらダメ!
接触不良になるため
このことは事前にネットで調べておきました。
その後にドライバーで全パーツを取り外し
ひたすら乾燥タイム。。
バッテリーは塩水につけ、
捨てることに。
YouTubeをみると
海に落として約1日からの回収で復活例がありませんでしたが
川や水に落としたドローンを回収後復活させた例はあったので
海水でも絶対行けると思い1週間乾燥させることにしました。
ドローンを解体する前に特殊なネジで
店に行っても中々置いてありませんでした。
なんとか工具屋さんで探していただいた
トルクネジを購入し分解できる道具が揃いました。
ドローンを解体したことなどなく
YouTubeを見て同じように分解しました。
ここからはドローンの中身の写真が続きます。
ダイソーに細かい工具が売っていました。
でもトルクネジだけは売ってないので
専門の工具屋さんへ!
寝る時はこの状態で機械任せ。
ネジがボロボロだった。
トルクネジをゲット!!
機体全体を分解!
ネジが8つくらいで外れます!
少し濡れている感じがした。
これでネジが合いました。
塩がついている。
細かい部品が沢山。
これがレンズ裏。
分解から1週間乾燥して組み立て
いざ電源を押して見たら、ついたーーーーー!!
音は少しうるさかった。
初期化して
コンパス、キャリブレーションを繰り返し。
なんとか画面も元どおりに!!
家の近くのビーチで飛ばしてみると
飛んだぁぁぁぁ!!!!!!
これこそ奇跡!!!!!!
と思っていたけれど、、、、
翌日にジンバルが未接続の表示が続き
今現在も修理中ww
石垣島から世界一周
2020年9月1日
僕が世界一周をして、4年がたった。
もちろんあの時、4年後にコロナという感染症が世界に広がっているとは思ってもいなかった。
海外に行きたくても行けない今、何かをやりたいと思った時にすぐ行動することが大事だと思う。
世界一周を終えてゼミの担任に送ったメールです↓
私は、去年の夏から冬まで(2016.8〜2016.12)ピースボートという地球一周の船旅に行くために休学していました。
横浜から出発し、南シナ海、マラッカ海峡、インド洋、アデン湾、バブルマンデル海峡、紅海、スエズ運河、地中海、エーゲ海、イオニア海、メッシッーナ海峡、ジブラルタル海峡、ビスケー湾、イギリス海峡、北海、イーサフィヨルズゥフィヨルド、ラブラドル海セントローローレンス湾、大西洋、カリブ海、パナマ運河、太平洋を航行し、総全長距離28,094海里(52,030km)航海しました。
この地球一周の船旅では、21ヶ国25寄港地を訪問。 下は2歳から上は90歳まで約1000人近くが乗船しており、私は沖縄県石垣島出身なので、日本の最南端からの乗船でした。
私が乗ったきっかけは、テレビで見る広い世界を実際に自分の目で見たいと思ったからです。
大学生活の半分の2年次を終えた後に、高校時代から知っていたピースボートを利用して、1年間休学し行こうと決めてました。 また、1つ上の先輩や学校外で自分が関わっているイベントスタッフの先輩方に過去乗船者がおり、良く話を聞いていたこともきっかけです。
船の中は一つの村のようなもので携帯の電波が通じず、携帯が使えないからこそ得られるものもたくさんありました。
みんなが仲間でみんなが家族でいつも挨拶で活気溢れていました。部屋を出れば誰かに会える。 素敵な景色に目を奪われるような光景があり、人々の笑顔や優しさに触れました。 国も言葉も文化も食べ物も違うことだらけでしたが、同じ人間なんだってこと、同じ地球で生きてるということを沢山感じることが出来ました。
私は世界一周する中でやりたいことがありました。
それは、大好きな沖縄のことを伝えること。
オリオンビールオリオンTシャツを着て世界一周すること。
大好きなカメラで各国の写真を沢山撮ること。
オーロラを自分のカメラで納めること。
各国に友達を作ること。
他にも沢山のやりたいことがありました。 船内生活の中では、三線を持参し乗った友達と発表会で安里屋ゆんたやオジー自慢のオリオンビールなどを弾いたり、シニアの方と船内で初めたウクレレを練習し、イベント事で披露したり、船内の情報を日本の方に伝えるWEBチームに入り、日々の活動を記録したり、船全体を盛り上げるための企画チームに入り活動したりと、船内では自分を活かすために頑張りました。
船に乗って、色んな人生の選択肢、色んな人の考えや価値観を知ることができて本当に前の自分よりも、物事に寛容になりました。 色んな人の意見を受け入れられるようになりました。
今、陸ではもう見ることのできない、毎日のように見てきた海、空、朝日、夕日、日によって全く違う景色となって、どれも美しくて感動しました。船から見たオーロラは忘れられません。 たくさんの国々を訪れては、人の暖かさや大自然の景色に何度となく感動し、世界の広さを知りました。 一括りに、出会いがよかったでは片付けられないほどの、生涯を終えるまで繋がっていきたい出会いを頂いた船内生活。 勇気を振り絞って外に出てみると、溢れんばかりの素敵な世界が待っているということ。
自分自身が沖縄で活動していることを船のみんなに伝えることも、やりたかったことの一つでもありました。
・カメラマンを集めて、沖縄の観光スポットやカフェ巡りをしたり、離島に行ってクリーン活動をしたりしていること
・沖縄のことを伝えようと同世代監督の映画を全国の映画館で上映した「人魚に会える日。」のこと
・村づくりで1500坪の土地を5年間無償で借りてワカゲノイタリ村というコミュニティを大学の先輩達と共に創り上げていることを伝えることができました。
また、船内を一日中沖縄に染める「沖縄DAY」という企画があり、沖縄出身者で沖縄の現状、沖縄の魅力、沖縄の文化を伝えることができました。中では、基地問題のことや沖縄戦の事をみんなが関心して聞いてくれていました。 他にも、地元の人達ならではのオススメスポットを教えたり、方言、エイサー、カチャーシーなどを教えることもでき、みんなに少しでも興味を持ってもらうことができました。 さらに、ピースボートの企画でギリシャとアイスランドとメキシコで現地の人達にエイサーを披露することもありました。
このように、世界一周しながら沖縄のことを伝えることができたり自分自身も勉強にもなることが沢山ありました。